越後長岡 よもぎひら温泉 和泉屋

よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

2013年06月03日(月)

さとり

気温と湿度が上がってくる季節、いかがお過ごしでしょうか?
イカピーでございます。

「ゆとり教育」や「ゆとり世代」などの言葉を耳にするようになって久しいかと思います。
本来、良い言葉である「ゆとり」が揶揄や皮肉をはらんだ響きに聞こえるようになった方も多いのではないでしょうか?

さらに最近聞く言葉に「ゆとり世代」に似た言葉があります。
それは「さとり世代」という言葉です。

さとり(悟り・覚り)という言葉を調べてみると、
仏教を始め様々な宗教における解釈が難しい言葉と共に並びました。

その難しい言葉を五十嵐なりに精一杯要約すると
「さとり」とは
・様々な欲望を捨て去った状態
・自分のことも含めて、世の中の事象を客観視できる状態
・修行・修養の最終目的であり、精神の最高の状態
などなどです。

では本題の「さとり世代」という言葉について。
主に現在の25歳以下の社会人という年齢帯に使われる言葉だそうです。
この若い世代から、上に挙げたような精神の高みに至った人が多数でたということでしょうか?

・・・・もちろんそんなことはありません。
この「さとり世代」と呼ばれる若い社会人の傾向は
・冷静に自分の能力分析ができる
・金銭欲や出世欲が薄く、高望みをしない
・成功を求めるよりも、失敗を恐れる気持ちが強いため、ものごとに挑戦をしない
などだそうです。

こうやって列挙してみると、五十嵐自身に当てはまる部分が多いなぁと思います。
一般に年齢帯が25歳以下と言われるのは、物心ついた頃にはバブルが終わっていた年齢ということ、
つまり「バブル時代を知らない」年齢が生んだ傾向なんだとか。
五十嵐は現在31歳なのでこの年齢には当てはまらないのですが、
生まれがバブル景気の影響の少ない堅実な農家で、極端な贅沢も貧困も無縁に育ったことが影響しているんじゃないかなぁと思っています。

子供の頃はテレビゲームが好きで、「ゲームクリエイターになりたい」なんて夢は持っていましたが、
「偉くなりたい」「大金持ちになりたい」「人の上に立ちたい」というような希望は抱いてこなかったように思います。

前回の「甘党」の話と同じような結びになりますが、
五十嵐がこの傾向に当てはまるので、個人的には悪い風潮とは思っていませんが、
高度経済成長期を生きてこられた方や、経営者・雇用者としてそういう若者を使っていく側の方々から見ると如何なものなのでしょうか?
冷静かつ堅実であることを評価してくださるのでしょうか?
情熱や冒険心の無さを物足りなく思われるのでしょうか?

五十嵐は幸いにも、この性分を女将さんから「穏やかで安心できる」と評価をいただいております。
自分の性分に合った職場に巡り合えた幸運に感謝です。

そういえばこの「さとり」の対義語は「迷い」だそうです。
五十嵐は日々迷ってばかり、本当の意味での「悟り」にはほど遠いようです。

2013年05月01日(水)

あまとう

「甘党」という言葉があります。
「お酒が飲めずに、代わりに甘いものを好む」人を揶揄する言葉だったそうです。
戦国時代を代表する武将「織田信長」も下戸で甘いもの好きだったそうで、正に甘党の代表格といえます。

とはいえ、それは「男なら酒が飲めて当たり前」で「甘いものの種類が乏しかった」時代の話です。
時代が流れ、酒の肴に甘いものを食べる人も「甘党」になり、現在では単に「甘いもの好き」を指す言葉になっています。

五十嵐も体型のイメージから漏れず、この「甘党」なわけですが、
最近この甘党の傾向に変化が見られるそうです。

そもそも、人間は脳の活動に糖分を必要とします。
新しい事を覚えたり、なんでも吸収していく子供の頃は特に糖分を多く必要とし、
また子供の味覚が未発達な舌にも「甘い」という感覚は好まれることから、子供の多くは甘いもの好きなのだそうです。

本来というか従来は、年齢を経るごとに体が欲する糖分量が減り、
また味覚の発達によって、辛味・酸味・苦味などを美味しいと感じるようになっていくものなのです。

子供の味覚の発達には「子供の嫌いな野菜をしっかり食べさせる」という誰もが通ったであろう道が活きるわけですが、
近年は親がそれをさせないために、味覚が未発達なままに成長する人が増えてきているんだとか。
また、お菓子の種類も豊富で大人でも楽しめるものがどんどん増えていて「甘党」急増中なのだそうです。

さらに、五十嵐もこの傾向に当てはまるのですが、
「お菓子や甘味はそれほど食べないが、甘めの味付けを好む人」というのも増加の一途だそうです。
これは五十嵐自身、ほんっとに良くわかります(;^ω^)

親子丼や牛丼、さらに蕎麦のつゆなど、出汁ものの味付けも甘めが好き。
カレーもそんなに辛くない方が好き。
さらに私は実家が酪農家だった影響もあってか
クリームシチュー、クリームパスタなど「クリーム」「ミルク」と名前の付く食べ物が大好物です。
いまでこそブラックのコーヒーや、ストレートの紅茶も楽しめるようになりましたが、数年前まではそれも甘くなければダメでした。
飲み会に行っても、周囲が「とりあえず生ビール」と始める中で「とりあえずカルアミルク」

これらは五十嵐の好みに限ったことではなく、現代の20代~30代に見られる傾向なんだとか。
市販のカレールーも甘口の売り上げが定番の「中辛」においつく勢いだそうです。

私がこの傾向に当てはまるので、批判的なことは全く言えないのですが、
評論する方に言わせると「飽食の弊害」であったり「味覚の発達阻害」であったりするそうです。
実に耳が痛い(;^ω^)
私も風呂吹き大根とか、湯豆腐なんかで日本酒を楽しめる大人に憧れたものですけどねぇ・・・・

とまれ、この傾向に当てはまる方も当てはまらない方も、栄養のバランスを良く摂取いたしましょう。

栄養サプリメントを常飲しているイカピーでございました。

2013年04月15日(月)

今日もいつもの睡眠不足?②

おはようございます。
体の大きさ「だけ」は力士にも引けを取らないイカピーでございます。
(4月13日のヤスオ部長の記事をご参照くだされ)

何人かの力士の方とお風呂をご一緒させていただきましたが、やはり迫力が違いましたね。
五十嵐のただだらしなくついた肉とはわけが違います(´・ω・`)

今回ご宿泊いただいた中でも、写真撮影などに快く応じてくださった「安美錦関」
物腰が柔らかで紳士的でいらっしゃった元親方の「大山」さん
素晴らしい筆でサインにイラストまでつけてくださった「式守錦太夫」さん
などなど、たくさんの力士の方にお泊りいただきました。

ご縁をいただいた力士の皆様のご活躍を和泉屋一同にて応援申し上げます。

前回に引き続き、睡眠に関するお話を。

前回に、睡眠は「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」を繰り返していて、レム睡眠のごく浅いタイミングで起きられると良い目覚めになるとお話ししました。

目覚まし時計や、誰かに起こされたりということがなければ自然とこの体が理想とする目覚めを迎えられるわけですが、時間に追われる社会人や学生さんはなかなかそうもいきません。

そこで、五十嵐がオススメするのが「90分逆算法」
人間が眠りについて、徐々に深い眠りに入り、また浅い所に戻ってくるサイクル間隔が一般に90分なのだそうです。
つまり、この90分=1時間半後に目覚めれば、良い目覚めになるというわけです。
これは1時間半に限った話でなく、サイクルをしているので、その倍数・・・
3時間、4時間半、6時間、7時間半、9時間・・・・・のタイミングでもOKです。

五十嵐が推奨するのは
「朝に起きたい時間を設定して、そこから90分の倍数の時間を逆算して布団に入る時間を決める」
という方法です。
・朝6時に起きたければ、6時間休むために12時前に布団にはいる。
・午後3時の約束前に1時半から昼寝をする。
というような例です。

私が読んだ本では1日7時間半の睡眠を推奨していましたが、なかなかそこまでの時間はとれない方も多いと思います。
五十嵐は夜勤をしているので、家で休む時間と会社での仮眠をそれぞれ3時間を目安にしています。

眠っても疲れがとれない方、朝の目覚めがスッキリしない方は「90分逆算法」をお試しくださいませ。
新入生、新社会人のみなさん。また新しい仲間を迎える立場の皆さんも「新生活」を元気に送りましょう!

2013年04月10日(水)

今日もいつもの睡眠不足?

「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く」
和泉屋の玄関にも飾られている、孟浩然という人の漢詩です。
春眠.JPG
厳しい冬が終わり、ようやくこの詩の如くに暖かな朝を迎えられる季節になりました。

まぁ春の限りでなく、通年布団から抜け出せないイカピーでございます。

今回はこの「睡眠」についてのお話をいたしましょう。
新生活を迎えるこの時期、気力体力を回復するための睡眠は特に重要になってくると思います。

睡眠というのは
眠りが浅く、体も起きている状態に近い「レム睡眠」
眠りが深く、意識がほとんどなくなる「ノンレム睡眠」に大別され、
その浅い所と深い所を波のようにいったりきたりしているんだそうです。

「夢を見る」というのはこのレム睡眠の間だけに起きる現象で、眠りが浅いほどその人が今抱えている悩みなどの現実的な夢を見やすくなります。
そこから眠りが深くノンレム睡眠に近づくにつれ、「空を飛ぶ夢」「おばけに追われる夢」など非現実的な漠然とした夢になっていきます。

今から100年ほど前の心理学者「フロイト」という方の「夢分析」というものが、面白いので興味のある方は是非に検索してみてください。

そして漠然とした夢を見る「深めのレム睡眠」から「ノンレム睡眠」にはいると全く夢をみずに心も体も無防備な休養状態になります。
このノンレム睡眠の間に大きく体力を回復するわけですが、このタイミングで目覚めさせられると、寝ぼけてひどく不快な目覚めになります。
レム睡眠の中でも至極浅いタイミング・・・・起きている状態に近い時に目覚められればスッキリとさわやかな目覚めになるわけです。

次回はこの眠りのサイクルをもう少し詳しくお話ししようと思います。

2013年04月01日(月)

新年度

誠にご無沙汰でございます。イカピーでございます。
イカピー.jpg

えー・・・・前回に書いたのが・・・・・うゎ・・・京都日記のハンパのところでしたねぇ(; ・ω・)
さすがに冗長すぎたのと、ずいぶん間隔が空いたのであれは中断します(キッパリ

4月1日、ということで気持ちを切り替えてリスタートいたしましょう。

本日4月1日は全館を休業とさせていただき、
全館休業.JPG
館内の設備点検や大掃除を行うとともに、
新しい仲間を迎える「入社式」が行われました。

新入社員の初々しい姿を微笑ましく思うとともに、自分の年齢を改めて実感いたします(; ・`ω・´)
五十嵐、現在31歳・・・・年を重ねることをメデタイと感じられない年齢になりました。

我がブログ部のヤスオ部長と私が4か月ほど遅い誕生日ですが、この4月1日を挟んでいるため学年で一つ下になります。
この「学年の境目」の誕生日って正確には何月何日かご存知ですか?
なんとなく、
4月1日生まれから上の学年(学年で最も早い誕生日)で
3月31日生まれまで下の学年(学年で最も遅い誕生日)とイメージしてしまいますが、
正解は
4月2日生まれから上(最も早い)
4月1日生まれまで下(最も遅い)となります。
なんとなく違和感がありませんか?

少し話が変わって、誕生日を迎えるにあたって実際に年齢があがるのはどのタイミングでしょう?
0歳の時に生誕した時刻?
誕生日の0時になった瞬間?
正解は
「誕生日の前日が終わった瞬間」なんだそうです。
それって、誕生日の0時の瞬間とどう違うの?と思われるかと思います。
ほぼ同義なのですが、少しだけ違う意味を持ってきます。
その一つが、「閏年の2月29日生まれ」の人。
誕生日を迎えた瞬間に年齢を重ねるとすると、その人は一般の人の4分の1しか年齢を重ねないことになってしまいます。
実際は誕生日の前日「2月28日が終わった瞬間」に年齢を重ねるので、閏年以外は3月1日になると年齢を重ねているのだそうです。

この理屈を最初の学年の境目の話にあてはめると、
「4月2日生まれが最も早く、4月1日生まれが最も遅い生まれ」ではなく
「4月1日を終えて年をとる人が最も早く、3月31日を終えて年を取る人が最も遅い生まれ」という解釈になるわけです。
納得いただけましたか?

五十嵐は7月生まれなのでさほど気にしたことはありませんでしたが、
ヤスオ部長のご長子は4月1日生まれ「あと1日遅く生んでやればよかった」とは部長の言。
五十嵐の某親友は4月2日生まれで「学生時代はちょっと得することが多かった」と言っていました。
三十路に入ってしまうと関係ないですけどね( ゚∀゚)

それでは、心機一転の4月。
今年度も和泉屋を宜しくお願い致します _(._.)_

2013年02月12日(火)

イカピー&タナの上洛日記⑦

おはようございます。いかピーでございます。

今回もまだ京都の話なのですが、1か月もやってまだ半分程度という速度と、返す返す感じている「旅館ブログでよそに旅行言ってきた話ってどうなんだろう」という疑問から、このまま続けるべきか葛藤しております。

そこで、こちらをご覧のお客様(ありがたいことに結構いらっしゃるんですよね^^)から、この日記を続行してよいか、元の「五十嵐が浅い知識から精一杯に雑学薀蓄を語る」スタイルに戻すべきか、ご意見いただければと思います。

このブログコメントでも、直接のご来館時でも結構です。
ご意見がどちらもゼロの場合も、とりあえず冗長ながらこの日記を続けようと思います。
では本編に。

寝坊して平謝りの五十嵐と苦笑いの棚村で始まった京都2日目。
市バスの乗り放題券というのを買って、昨日目星をつけていた新撰組の地「壬生」へ。
P1000100.JPG 壬生寺にて。

続いてもタナちゃんのリクエストで酒の神様を祀っているという「松尾大社」を参拝しました。
タナちゃん希望のこの2つに関してはきっと彼のブログで語られることでしょう。

続いては京都旅行の定番中の鉄板「金閣寺」
五十嵐が中学校の修学旅行で訪れたのが・・・・・おおよそ15年前ですか。早いものです(=ω=)
幸い天候にも恵まれ、池に写り込んだ見事な画が見られました。
P1000101.JPG
五十嵐は南北朝時代や室町の歴史もさほど詳しいわけではないのですが、
織田信長しかり豊臣秀吉しかり、時の天下人の権勢を比較する物差しにこの金閣寺を建てた足利義満将軍は引き合いに出されます。
建物全部を金にしようって発想がまずすごいですよね。

続いて尋ねましたるは「二条城」
往時の城の石垣や城内の様子が見られる貴重な場所でした。
静かに歩くほどに「ぴぃー」という鳥の鳴き声のような音のする「ウグイス張り」の廊下というのが面白かったですね。
まぁ五十嵐はどんなに静かに歩こうとしても目方の問題できれいな音がでなかったのですが・・(´・ω・`)
さらにこちらでは狩野派の絵画や小堀遠州のデザインした庭など、歴史に名を遺した人たちの芸術に出会えたのも感動でした。
P1000103.JPG小堀遠州の作庭

2013年02月08日(金)

イカピー&タナの上洛日記⑥

おはようございます。
今日の蓬平は1メートル先が見えないほどの暴風雪でございます。

雪の降らない所はよかったなぁ。と半月前を懐古する京都日記まいります。

京都2日目。
午後に到着した初日、昼過ぎには帰路につかねばならない最終日と違い、1日中観光にあてられる日です。
最も大切なメインの日。一刻たりとも無駄にはできません!




寝坊したーーーー!!!!!!
ここで苦しいながら言い訳を。
普段の和泉屋の勤務が夜勤な五十嵐は昼夜の感覚がしばしば麻痺して、日中ボーッとしたり、深夜にげんきになったりします。
この旅の初日も電車やお風呂で寝てしまって、深夜ベッドでなかなか寝付けなかったのですが・・・・
これはやってしまった (;゚Д゚)!!
大丈夫だ、落ち着け、タナちゃんと決めた集合時間まで・・・(計算中)・・・
よし、朝食に10分はとれる!
五十嵐は前日ホテルに併設されたカフェのモーニングビュッフェを申し込んでいたのでした。
これをいただかない五十嵐ではありません。

焦りつつカフェの方へ。
並んだメニューは、パンが数種類、スクランブルエッグ、ウインナー、オニオンスープ、カレーライス、ナポリタンスパゲティ。
ホテルビュッフェ.jpg
とはいえ、パスタやカレーなどは申し訳程度で、完全にパンメイン。
まぁカフェだから当たり前なんでしょうが。
米どころ新潟の米農家に生まれた五十嵐は「食事と言えば米!パンはどれだけ食べてもオヤツ」という偏った感覚を持っています。
とりあえずカレーやパスタなどをいただいてみますが・・・
イマイチ(´・ω・`)
パスタは五十嵐が日常自炊で食べてるレトルト物に近い、カレーライスはやっぱり米に見劣りを感じます。
まぁこんなものかなぁ。さっさと食べて旅の支度をしないといけないし・・・・
とデザートのつもりで並んだパン類から「アップルパイ」をいただいてみました。
これは・・・・ウマイ!(・∀・)
表面がサクッとしていて中は果汁を感じるようなリンゴの食感。しかも甘さが程よい。
続いてクロワッサン生地にチョコレートが入った「パン・オ・ショコラ」をいただいてみます。
これもウマイ。
これも見た目ほど甘くなく、目覚めに優しい味と食感です。
また最初は物足りないなぁと思っていたスープもパンの甘さと合わせると程よい塩加減になるんです。
「朝食は米!」という偏見を少しは改めないとなぁ・・・・と思った朝でした。
ではお次は「くるみパン」をいただ・・・
「おはよう五十嵐君、今朝ごはん?」
声をかけられ振り向くと、いつものように柔和な笑顔をうかべた『旅支度の』タナちゃん。。。
のんびりご飯食べてる場合じゃなかったーーーーー!!!!
改めて時計を見れば、当初の予定の10分はとうに過ぎています。
「ごめんなさい!寝坊しました!しかも朝飯が止まらなくなってました!急いで食べて支度してきます!」
こんなダタバタで京都2日目は幕を開けました。

2013年02月05日(火)

イカピー&タナの上洛日記⑤

おはようございます。
今日も引き続き旅行日記をお届けします。

その前に、久々にコメントを頂戴しましたのでお返事を。
手田さん>
お寺の宗派の訂正ありがとうございます。
こんないきあたりばったりの旅が続きますが、どうぞ今後もおつきあいくださいませ。

初日の観光行程を終えて、京都で最初の食事です。
この日の夕食はインターネットのグルメサイトで調べた「京都駅近辺で評判の串カツ屋さん」です。
五十嵐が知る限り、地元長岡市に串カツ屋さんというのはありません。
人生初串カツです!
店員のお姉さんが
「ソースの二度づけは厳禁でおねがいしますぅ」(京都なまりがいいですね)
と、ソースと山盛りのキャベツを置いていってくれました。
タナちゃんが教えてくれたところによれば
「串1本につき、ソースにつけていいのは1度だけ。もしつけ損なったりしたらキャベツですくってかればいいんだよ」とのこと。
ふむ。勉強になる。

とりあえず「おまかせセット(ワンドリンク付き」)を注文。
いただきます!
うまい!
肉・野菜・魚、どれも揚げたてのカツになると、煮たり焼いたりするのと違った食感や味わいを見せてくれるんですね。
とくに印象深かったのは、鱧・子持ちシシャモ・チョリソー。美味しかったです。
これはお酒も進みます(笑)
普段は酒量の少ない五十嵐もいい気分で「チューハイおかわり!」

(注 諸事情により五十嵐が揚げ物を貪り喰らう様を記録した写真はお見せできません。
代わりにノンベエが地酒を堪能する様子をお届けします)
P1000097.JPG

五十嵐さらに酔った勢いも手伝って「メニュー表のこのページのメニュー全部ください!」
一度言ってみたかったんですよねコレ(笑)
大満足の京都1食目でした

2013年02月03日(日)

イカピー&タナの上洛日記④

おはようございます。
今日も今日とて旅行日記です。

さて、京都到着初日も夕刻となりまだまだまわり足りないところですが、拝観時間の終了が近づいてきました。
ということで本日の最終目的地は「本願寺」です。
浄土宗の本拠地で開祖の親鸞(しんらん)は越後に幽閉されたご縁もある場所です。
「いざ、進めば極楽浄土!退けば地獄!」
(旅のハイテンションでおかしなことを口走っています。ちなみにコレは戦国時代の本願寺僧兵が一揆衆を奮い立たせるために言ってた教えだとか)

いざ、東本願寺へ!
東本願寺.jpg
・・・・
閉まってましたΣ(゚д゚lll)ガーン
どうやら東本願寺は改装中?の模様。

ならば西本願寺へ!
西本願寺.jpg
・・・・
参拝受付の終了時間になってしまいました(´・ω・`)
せっかく来たんだし建物の外観や雰囲気だけでも味わっておこうと散策していると、
旅の相方タナちゃん「この西本願寺って、新撰組が頓所として使ってたところなんだよね!」
と彼もまたいつになくハイテンション。
「新撰組の関連の場所とかちょっと教えてもらってくる」と1人で受付事務所に駆け出していきました。
タナちゃんとは結構長い付き合いながら、シラフでこんなにテンション高いタナちゃんは初めてかもしれない( ゚∀゚)
(注 タナちゃんはアルコールが入ると饒舌になります)

西本願寺事務所で情報収集を終え、満足げな顔で戻ってきたタナちゃん。
「壬生っていうところに新撰組の頓所跡と関連の神社があるんだって!」
と珍しく興奮気味です。
いつも私が「どこいく?なに食べる?」と聞いても「五十嵐君に任せるよ」
とほんわかスマイルで返す彼がいつにないハイテンション。
京都の魔力恐るべし!
翌日の朝一番の行先に「壬生」が追加されました。

2013年02月01日(金)

イカピー&タナの上洛日記③

おはようございます。
本日も京都旅行の模様をダラダラ綴らせていただきます。

三十三間堂の次に向かったのは養源院というところ。
P1000095.JPG
豊臣秀吉の奥さんのひとりである淀君(茶々)が父親の浅井長政を弔うために建てたお寺なんだそうです。
その姫様が父親のために建てた寺院や美術品の見事さもさることながら、こちらの目玉は「血天井」というもの。
なんだかホラーな響きですが、謂れはこうです。

1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき戦いに、
徳川家康による我らが上杉軍にたいするいいがかり戦争「会津征伐」というものがあります。
徳川軍が会津にむかって軍を進める時に、京の伏見城の留守番役に任命されたのが「鳥居元忠(とりいもとただ」という武将でした。
この留守番役は、徳川家康が敵対していた石田光成にあえてスキを見せて、この伏見を攻めさせ戦争の口実をつくるのが目的の、いってみれば「犠牲」でした。

それを家康が若いことからずっと仕えてきた老将の鳥居さんが快く引き受けたのです。
果して、徳川家康の読み通りに石田光成は伏見城を攻め、鳥居元忠は激戦の果てに自刃したのです。
その後、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は死んだ鳥居元忠への感謝を込めて、彼とその部下が自刃し血に染まった床板を大切に保管し、今現在はこのお寺・養源院の天井になっているというわけです。
(注 五十嵐の偏見と独自解釈が含まれています)
養源院.jpg
さすがに真っ赤に染まった板ではありませんが、血の染み跡を担当の方が説明しながら往時を思わせてくださいました。
こういう戦国時代のお話に触れられると、五十嵐のテンション急上昇↑です

つづく