越後長岡 よもぎひら温泉 和泉屋

よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

2011年12月20日(火)

蓬平温泉の起源3

おはようございます。
全身にまとった分厚い鎧(脂肪ともいう)のおかげで寒さには強い五十嵐でございます。

エビピーさん、タコピーさん、コメントをいただきありがとうございます。
私の仕事は夜遅めの時間に始まり、朝方のお客様のお見送りの頃まで努めております。
ですので、朝食のバイキング会場でお出迎えをしたり、喫茶コーナーでウエイターをしたりと朝方のほうがお客様と接する機会が多くなります。
ヤスオ氏のブログで女将を筆頭に和泉屋の誇るたくましい女性陣が雪と格闘するシーンがありましたが、私も雪かき隊として先陣を切って戦っております。

さて、本題の蓬平の昔話の続きです。
重体な高野木さんが、龍神に祈りを捧げたところから。
そのまま痛みと疲労で意識を失った時に、夢の中に白髪の老人が現れました。
「ワシはお前がいつも熱心に信仰している大和国(現在の奈良県)の龍神の分身、この越後の高龍神だ。
普段から熱心に信仰をしているお前を助けてやろう。ここから2kmほど山を下ると泉が湧いている。そこに傷をひたすがよい」
夢から覚めた高野木は痛みを我慢しながら必死に山を下りました。
するとそこには夢の老人が言った通りに温泉がわき出ていました。
その温泉で数日間、湯治療養をすると戦争でうけた傷も治り、長旅の疲労も一気に回復したといいます。
もともと信仰心の強い高野木は地元の村人にこの温泉を教え、高龍神をまつるように伝えました。
それ以降この土地、蓬平では龍神を「高龍神社(こうりゅうじんじゃ)」としてまつり、温泉を大切にしてきたそうです。

ということで600年も前から続く蓬平伝説でございました。
この高龍神社は和泉屋からおよそ徒歩7分。龍神の化身とされる白蛇を祀って商売繁盛や金運の神様として、みんなに参拝されています。
皆様も蓬平にお越しの際はぜひにご参拝ください。

かく言うイカピーは極度のヘビ嫌いなので立ち寄れません(´・ω・`)

2011年12月18日(日)

蓬平温泉の起源2

おはようございます。
イカピーこと五十嵐です。
好きな野球チームは中日ドラゴンズです。

手田さん、さっそくのコメントありがとうございます。
来年はお子さんも一緒にお越しいただけたら嬉しいです(^-^)

前回は南北朝時代の日本史で終わってしまいましたが、
今回こそ蓬平の歴史について語らせていただきます。

前回の当コーナーで、北朝サイドの足利氏が勝利し南朝サイドの楠木氏が敗北した戦争について語りました。
実はわれら蓬平はそのバトルで負けた、楠木さんに縁があるんです。
楠木一族の中心格の1人に楠木正儀(まさのり)という人がいて、その部下に高野木民部(こうのぎみんぶ)という人がいました。
その高野木さんが今回の主役です。
1390年、楠木一族の敗北はほぼ確定し、南朝はどんどん衰えていました。
そんな中で高野木さんの上司、楠木正儀の戦友だった和田さんという人が、京都から離れて越後の栃尾(現在の新潟県長岡市栃尾)に逃げ延び、
反撃のための準備をしているという情報が入りました。
その手助けをするために、上司の正儀さんから高野木さんは越後に派遣されました。

一刻も早く、和田さんを助けに行こうと高野木さんは馬を飛ばします。
京都を出発し福島・会津を超えたあたりで、無理がたたり、以前に足利軍との戦争で受けた古傷が開いてしまいます。
それに長旅での疲れも重なって、どんどん病状が悪化。
何とか越後に入り、竹之高地という土地で瀕死の状態になってしまいます。
「このままでは無駄死にだ。あとはもう神頼みしかない」
彼は日頃より、地元の奈良の神社に祈りをささげる敬虔な信者でした。
瀕死で意識も朦朧とする中、日々祈りを捧げている龍神に神頼みをしました。

さて、ドラゴンに祈りは届くのでしょうか?
続きはまた次回に。

2011年12月16日(金)

蓬平温泉の起源

おはようございます。
和泉屋の夜の男、五十嵐でございます。
さっそくのコメントをくださった廣井様ありがとうございます。
私は山古志村の池谷地域の出身です^^

これを皆様がご覧くださってる今が何時かは分りませんが、
和泉屋スタッフ内では時刻を問わずに「おはよう」を共通挨拶としておりますので、当ブログの私の回は「おはよう」で始めさせていただこうと思います。

先だってブログを書いているヤスオ氏より「お前も書け」と指名を受け、
じゃあ趣味の歴史についてでも語ろうか、と始める次第となった当イカペディア(命名・ヤスオ)であります。

第一回の当地「蓬平温泉」の歴史について語らせていただきます。
我ら和泉屋は当代の久子女将で7代目。温泉旅館の創業は明治です。
しかしこのよもぎひら温泉の発祥はずっと古く、起源は1390年。
南北朝時代と呼ばれる頃に遡ります。

この南北朝という時代、皆様あまりピンと来ないんじゃないでしょうか?
私も以前は「1192作ろう鎌倉幕府より後で、戦国時代よりちょっと前?」程度の認識でした。
ところが調べてみると、この時代の歴史もなかなかドラマティックなんです。

南北朝という名前は、当時の日本の首都・京都を南北に分けて2人の天皇が「私が真の天皇だ」と争っていたことからつきました。
そして、北の天皇を足利(あしかが)さん。南の天皇を楠木(くすのき)さんという一族がそれぞれ中心になってバックアップしていました。
その足利VS楠木 のバトルはいろんなドラマを生みながら、最終的に足利さんが勝利し、北の天皇が「私が本物の天皇だ」と言い、
足利尊氏さんが将軍になります。孫の義満さんは金閣寺を建てた人として有名ですね。

本日はここまでに。
次回はこの京都での戦いから、新潟につながる人のお話をいたします。

2011年12月12日(月)

はじめまして五十嵐です。

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和泉屋の夜の男。ナイトフロント五十嵐 30歳 独身です。
よかったら「イカピー」と呼んでください^^

三度の飯より歴史が好き!?な僕は・・・

蓬平を始め、山古志・長岡、広くは新潟県の「なるほど情報」(イカペディア)を
みなさんにお伝えするコーナーです。

みなさまからの質問、リクエストもお待ちしております(`・ω・´)