おはようございます。
本日も京都旅行の模様をダラダラ綴らせていただきます。
三十三間堂の次に向かったのは養源院というところ。
豊臣秀吉の奥さんのひとりである淀君(茶々)が父親の浅井長政を弔うために建てたお寺なんだそうです。
その姫様が父親のために建てた寺院や美術品の見事さもさることながら、こちらの目玉は「血天井」というもの。
なんだかホラーな響きですが、謂れはこうです。
1600年の関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき戦いに、
徳川家康による我らが上杉軍にたいするいいがかり戦争「会津征伐」というものがあります。
徳川軍が会津にむかって軍を進める時に、京の伏見城の留守番役に任命されたのが「鳥居元忠(とりいもとただ」という武将でした。
この留守番役は、徳川家康が敵対していた石田光成にあえてスキを見せて、この伏見を攻めさせ戦争の口実をつくるのが目的の、いってみれば「犠牲」でした。
それを家康が若いことからずっと仕えてきた老将の鳥居さんが快く引き受けたのです。
果して、徳川家康の読み通りに石田光成は伏見城を攻め、鳥居元忠は激戦の果てに自刃したのです。
その後、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は死んだ鳥居元忠への感謝を込めて、彼とその部下が自刃し血に染まった床板を大切に保管し、今現在はこのお寺・養源院の天井になっているというわけです。
(注 五十嵐の偏見と独自解釈が含まれています)
。
さすがに真っ赤に染まった板ではありませんが、血の染み跡を担当の方が説明しながら往時を思わせてくださいました。
こういう戦国時代のお話に触れられると、五十嵐のテンション急上昇↑です
つづく
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