おはようございます。
いつ本格的な降雪が来るかと戦々恐々としておりますイカピーでございます。
(雪が降っても作務衣に羽織スタイルはかわりません。)
先日、友人と一緒に映画「のぼうの城」を拝見してまいりました。
おおよその基礎知識はもっていたつもりでしたが、血縁関係など誤解していた部分もあり、純粋に映画としても大変面白かったです。
機会があれば「埼玉県行田市」の歴史好きの方と語らってみたいですね。
では、今回のテーマに参ります。
「和泉に分別あらば、越後七郡かなうものなし」
戦国歴史大好きな五十嵐が、その中でも最も好きな武将、上杉謙信の言葉です。
意味は・・・・「和泉屋に思慮分別があれば新潟で一番の宿になれる」・・・とかそんなカンジの・・・
もちろんウソです。内外各所から怒られそうなんで先に謝っておきますm(_ _)m。
本当の意味は、上杉の武将の一人でこれも五十嵐が大好きな「柿崎景家(かきざきかげいえ)」という武将に対して、
「柿崎にもうすこし思慮分別があれば、この越後で最高の武将なんだがなぁ」
と、勇猛だけどちょっと短気で喧嘩早いところのある部下に向けた言葉です。
しかし上杉謙信は部下の柿崎景家のことをなんで「和泉」と呼んでいるんでしょうか?
↑↑↑「柿崎景家さん」
これは、この柿崎という武将の公式名「柿崎・和泉守(いずみのかみ)・景家」のミドルネームを呼んでいるためです。
昨今、ちょっとした戦国ブームで、ドラマ・映画・小説をご覧になった方もいらっしゃると思います。
その中で、武将達が名前を呼び合うのに「◯◯のかみ」という名称を使うシーンがしばしば出てきます。
このミドルネーム、戦国時代の役職とニックネームの中間のようなものなのです。
上記の柿崎さんを例にすると、名前の「景家」というのは、諱もしくは忌み名(どちらも読みは「いみな」)といい、親や上司など目上の特別な人のみが口にしていい名前とされてきました。
(最初の例文では上杉謙信は柿崎さんを「景家」と諱で呼んでいい立場なんですが、役職をさらに親しみを込めて略して「和泉」と呼んでいます)
それ以外の同僚や部下が彼を呼ぶときに使われるのがこのミドルネームなのですが、この名前の付け方が微妙と言うか、ちょっと面白いのです。
「和泉守」という役職は「和泉の国(現在の大阪府和泉市一帯)の守護者」という重要な職務です。
しかし、我らが越後の大将である上杉謙信のさらに部下である柿崎さんにそんな権限はありません。
というか、柿崎さんが大阪に行ったことあるかどうかすら怪しいです(・ω・;)
この「◯◯守」という役職は鎌倉時代に設定された律令制という法律に基づき、本来は文字通りにそれぞれの国の守護者・大将という意味を持っていました。
しかし戦国時代になって、それぞれの国が自治権を主張するようになると、その鎌倉時代の風習を真似て自分の部下に「◯◯守」と勝手に実権のない役職を割り振るようになりました。
なので、武田信玄の軍団のなかにも、織田信長の軍団のなかにも「美濃守(岐阜の大将)」だの「筑前守(福岡の大将)」だのという役職を割り振られた人達がたくさんいるわけです。
言ってしまえば「キミはうちの軍団内での大阪のボスって設定ね」というゴッコ遊びみたいなものなんです。
意外にいいかげんというか、お茶目な役職の決め方ですよね(;^ω^)
次回に続きます。
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