おはようございます。ようやく車から若葉マークがとれましたイカピーでございます。
免許失効から再習得までのことは当ブログのバックナンバーをご覧いただけるとありがたいです。
先日、専門学校時代の恩師と久しぶりにお茶をしてきました。
その先生は中越震災の折、和泉屋を解雇され職も住まいも失った私に、ご自身がお持ちのアパートを本来の半額ほどで私に貸してくださいました。
柏崎市の駅から徒歩10分、最寄コンビニまで2分、海岸まで5分、そのうえ交通量も多くない閑静な地域と素晴らしい物件でありました。
先生からその住まいを貸して頂けるという話があったから、五十嵐は慣れた長岡市蓬平を離れ、柏崎市で新生活を送るという決意が出来たのでした。
和泉屋以外の仕事をしてみた柏崎市での2年間というのは私にとって必要な経験であり、やはり旅館の仕事が一番私に合っていると確信するに至った経緯でもあります。
女将さんからのお誘いで再び和泉屋に戻った今でもその経験は掛替えのないものだと思っています。
そのきっかけを下さった先生には感謝してもしたりません。
五十嵐が専門学校を卒業してからすでに10年近くになります。
先生とは卒業後も毎年1回以上はお茶や食事をご一緒していましたが、ここ数年ははなかなか機会がなくおよそ3年ぶりの再会となりました。
喫茶店でお互いの近況などとりとめのない話をしただけなのですが、10年を経てもかわらず穏やかな恩師の様子に安心をしました。
それと共に、先生に初孫ができておじいちゃんになったお話や、母校が様変わりした変遷などを聞き、時間の流れも同時に実感しました。
1時間半ほどのティータイムでしたが、充実のひと時でありました。 ( ゚ω゚)旦~
このブログで何度か書いて参りましたが、五十嵐は子供好き&お年寄り好きです。
子供の無邪気な笑顔や、おじいちゃんおばあちゃんの穏やかな笑顔に癒されております。
五十嵐が昔になにかの本で読んでずっと心に残っている言葉があります。
「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」
五十嵐自身が子供のころに感銘を受け、年齢を重ねるごとにさらに深く感じ入っている言葉です。
子供のやんちゃをただ厭うのではなく、自分にもこんな頃があったなぁと思い返し、
おじいちゃん達を見ながら、自分はどんなふうに年を取るんだろうとイメージをする、そんな大人でありたいと思っています。
改めて調べてみたところによると、この言葉は作者不明で浄土宗の信者の人が読んだ詩だそうです。
さらに
「来た道行く道二人旅 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道」
と続くんだそうです。
人生を、過去の自分と未来の自分の「二人旅」と表現しているところがまた味わい深いですよね。
続きの句を知って、この詩がいっそう好きになりました。
先生がお茶を飲みながら初孫が可愛くて仕方ないというお話を幸せそうになさるのを見て、こういう年齢の重ね方をできたらいいなぁと思いましたね。
まずは、奥さんみつけて子供が出来なくては孫なんて夢のまた夢なわけですが・・・・(´・ω・`)
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