越後長岡 よもぎひら温泉 和泉屋

よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

今日のイカペディア|2012年04月22日(日)

五十嵐の中越震災の記憶 ④

おはようございます。
花粉症と風邪にダブルでやられているイカピーでございます。
みなさまも温かくなったからとご油断召されませぬよう・・・・。

中越震災のお話をさせていただいておりました。
7年以上も前のこととあって、鮮明に思い出せることとほとんど思い出せないことがそれぞれにあります。
そのなかで、自他ともに認める食いしん坊の五十嵐は食べ物の記憶ははっきりと残っています。

震災が起きた当日は夕食の直前で余震の恐れで火を使う事を避けたため、売店のお菓子などをお客さま達と分け合い過ごしました。

少し落ち着きをとりもどした3日目は和泉屋の冷蔵庫にあった食材を、阪神大震災経験者の板前さんが調理してふるまってくれました。
さらにその2日目の夕方には町のコミュニティセンターに「ヤマザキ製パン」さんからの食糧支援がとどき、その対応の早さに驚くとともに感謝したのを覚えています。

3日目の朝、山崎パンさんの新たな支援に加え、セブンイレブンさん・ローソンさんからもパンやオニギリの支援をいただきました。
避難命令を受け避難所である高校の体育館で家族友人と再会した夜、友達と一緒に、早くも営業再開していた「ラーメン清水」さんの塩ラーメンを食べに行きました。パンやオニギリが続く中で久しぶりに食べたラーメンの温かさは昨日のことのようにハッキリと思い出せます。

その後、五十嵐は10日ほどの避難所生活を送るのですが、オニギリやパンなどの支援物資に加え、自衛隊の方々がみそ汁やカレーなどの温かい物を作ってくださいました。ある日ふと夜中の4時くらいにトイレに目が覚めた時、すでに自衛隊の方々が朝食の準備をしているのを見て感動に胸を衝かれたことも鮮明な記憶です。

先の阪神大震災の被害者の方々や東日本大震災の方から比べれば、恵まれた食事情であったと思います。
返す返すも迅速かつ大量の支援を下さったヤマザキ製パンさん、セブンイレブンさん、ローソンさん、さらに昼夜を通して我々の食事やお風呂の世話をして下さった自衛隊の皆様方に深い感謝を申し上げたいと思います。

この「中越震災の記憶」シリーズ、書き始めた当初はもっと筆が進むものと思っておりましたが、苦い記憶をたどり文章に記すというのは存外に難しい作業でありました。
本当はこの後に、家族と共に引っ越した柏崎の話や、和泉屋を離れて職を転々としながらまたここに戻ってくるまでの話などを書こうかとおもっていたのですが、それはまたの機会とさせていただきます。

長々とお付き合いくださった方、ありがとうございました。

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