おはようございます。イカピーでございます。
安尾部長が自分のブログを書きながら、
「イカピーって単語google検索したら、1ページ目にウチのブログでたぞ」
と声をかけてきました。
最近はお客様からも「イカピーってスタッフのブログ見たよ」とお声掛けいただく機会も多々あり、本当にありがたいことであります。
思い起こせば、12年前に和泉屋でアルバイトを始めた初期のころに当時ルーム係だったアキさん(仮)につけられ、いまやこれほどに浸透したニックネームであります。
今回は私のニックネームの浸透に因んで・・・・まぁ因み損ねた感じですが、私の五十嵐という苗字のルーツをお話しいたします。
これまで好きなことを書いてきた私もさすがにアップするのをためらいましたが、勢いでやっちゃいましょう。
全国の五十嵐さん必見です!
この五十嵐という名字「佐藤」「鈴木」「高橋」から始まる苗字の全国人口ランキングでは110位前後とどちらかというとマイナーな苗字になります。
ところが我ら新潟県では第9位に入るメジャー苗字!
そう五十嵐のルーツは新潟県にあるのです。
今から2000年も昔の紀元0年前後のころ、日本は弥生時代。
縄文時代に石の道具を使って狩猟生活をしていたところを、中国から鉄の作り方や農耕の方法を教わり、自分たちで生産する文化が日本に根付いた時代です。
とはいえ、その文化は九州・中国地方からやっと京都に届いた程度、東日本は文化水準で100年分の遅れがあったといわれています。
その時代の国のトップ・垂仁天皇は西日本を制覇したとして今度は東日本に文化を伝えつつ勢力下に治めようと考えました。
その東日本制圧作戦のなかで、新潟方面に派遣されたリーダーが天皇の8番目の息子で「五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)」という人でした。
名前でお分かりになりましたでしょうか?我ら五十嵐の祖と言われている人です。
新潟の人ははじめ五十日足彦さん達の集団をみて怖がりました。
それも仕方なし、東日本と西日本の文化水準に100年の差があったわけで、現地の人からしてみれば未知の道具「鉄製の武器」を持った人たちは、エイリアンの来襲に思えたことでしょう。
しかし五十日足彦さんは根気強く自分たちが侵略に来たわけではないことを伝え、製鉄や農耕の技術について広めていったそうです。
その熱意を受け地元民は五十日足彦さんを指導者として受け入れ慕うようになりました。
続きはまた次回。全国の五十嵐さんお楽しみに!
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