越後長岡 よもぎひら温泉 和泉屋

よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

今日のイカペディア|2012年01月12日(木)

まささん!! ①

おはようございます。ブログ部(部員数2名)の毎日更新してる方イカピーでございます。

イカピーによる和泉屋スタッフ紹介?
第一回はいきなり重役!小幡政勝(おばたまさかつ)常務をご紹介です。

まずあれですよね。名前がかっこいい!!(戦国武将的な意味で)

マサカツという名前の武将は何人か思い浮かびますが、なかでも一番の大物は蜂須賀正勝。
豊臣秀吉の家臣で、通称である蜂須賀小六の名前が有名になっている人です。
若いころから2000人のフリーランスの野武士集団のボスとして土木業から傭兵業まで手広く活躍していた蜂須賀正勝さん。
当時織田家の下級武士でしかなかった秀吉から一大事業として敵の城との前線に砦を作るという、難しい仕事をもちかけられます。
敵軍の妨害をうけなから建築をするという難行を秀吉と正勝は斬新な手法で攻略します。
まず敵の邪魔を受けない山奥で木材をあらかじめ加工しておき、その加工した木材をさらにイカダにして川を下る。
そして目的地でそのイカダを解体し、本来の目的である砦の建築に使うというアイディアです。
その手法で本来なら数週間はかかる砦の建築を1週間たらずで完成させました。
敵方からみると、ほんの一晩で砦の前面部ができあがったことから「一夜で城が建った!」と驚き、後に「墨俣の一夜城」と呼ばれる伝説となります。
その後の正勝さんは秀吉の参謀として切り込み隊長として数々の戦に参戦します。
歴史好きには秀吉の参謀というと、竹中半兵衛・黒田官兵衛の「二兵衛」が有名ですが、蜂須賀さんの実力も決してまけていません。
特に信長が本能寺の変で死んだ後の秀吉による「中国大返し」とよばれる撤収。
その時、戦っていた中国地方の毛利一族相手に秀吉の軍団が撤収したことを気づかれないように、少人数で相手を威圧し続けたのが正勝さんです。
秀吉は明智光秀を討ち取り、後に織田家のトップさらには天下人になりますが、常にその活躍のそばに蜂須賀正勝がいたんです。
ころくまさかつ.JPG
正勝さんかっこえー。

続いて小幡という名字の戦国武将も。
武田信玄の父親、武田信虎の代から仕えた城攻めの名手・小畠虎盛。
見栄を張らず自分の実力でできることを精一杯やれという意味の「よくみのほどをしれ」という言葉を残し現代にまで伝えられています。
さらにその息子で数々の武勇をたたえられた盛政。
戦功で名前の畠という字を、八幡菩薩の幡という文字に変え「小幡」という名字に改名しました。
おばた.jpg

ウチの小幡常務に「もしかして先祖は武田の武将とか?」と聞いたところ「ウチは代々新潟だなぁ」と言ってました。ちょっと残念。

結局、今日のところは戦国武将の話しかできなかったので、明日こそは和泉屋の常務の紹介を!!

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“まささん!! ①” への1件のコメント

  1. カキピー より:

    いつも仕事の合間(?)に読ませてもらってます。あいかわらずイカピーさんの物知り具合に驚きます。ただちょっと、文字が多すぎて読みずらいかな…。画像があるとイメージがわいてもっと楽しめそう。ってか、自分のイマジネイション不足なだけかwこれからもがんばってください。ぽちっ!!

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