おはようございます。
クリスマス以来、およそ10日ぶりの休日は帰郷中の高校時代の友達と会ってきました。変わらない友達と会うと安心しますね。
イカピーでございます。
昨日の記事の「上杉謙信女性説」の続きをご紹介します。
⑥甥っ子に対する母性あふれる気遣い?
魚沼坂戸城の長尾政景さんの奥さんは謙信の姉・綾姫(出家後は仙桃院)さんです。
もともと姉思いで魚沼の姉によく手紙を書いていた謙信でした。
あるとき上越春日山に出仕していた義兄・政景さんに手紙を渡します。
いつものように自分の妻で謙信の姉の綾姫への手紙かと思ったら、宛先は自分の息子、謙信にとては甥っ子になる景勝宛でした。
「なんで俺の息子に手紙?」と政景さんは不思議に思います。
内容も武将の手紙によくある「武術を学べ、体を鍛えろ」とかではなく「最近どんなことがあった?」「風邪ひいてない?」など親が子供を気遣うような内容でした。
さらには「景勝の勉強用に教科書をつくってきたんだけど・・・」と文字の書き方お手本ノートなど教科書を自作してプレゼントしました。
後に謙信の養子となる景勝君ですが、養子縁組が決まる以前からわが子のように愛されていたようです(・ω・)
⑦スペイン宣教師の自国への報告書「上杉景勝は叔母が平定した佐渡から豊富な金を得ている」
スペインからのキリスト教宣師・ゴンザレスという人が上杉景勝の下を訪れたあとの報告書がみつかっています。
そのなかに景勝の叔母が佐渡金山を領地にして、それを景勝が引き継いだとあります。
謙信は叔父じゃなくて叔母・・・・?
なんだかここまで並べられると女性に間違いないって気になってきますが、それぞれに反論もあります。
まず毘沙門天の化身となるため・・・の類は邪推せずにそのまま信じるべきという意見。
続いてファッションに関しても、私服が女性的な物だったというのは他国の大名にもけっこういたので決定打にはならず。
和歌や茶道などは武家のたしなみです。特に謙信は幼少期から天室光育という高名な僧侶に育てられ詩やお茶にも通じていました。貴族さんを驚かすほどの教養がるのも納得。
さらに謙信は源氏物語や伊勢物語というラブストーリーを特に好んでいたため、女性心理を強くつかんでいたとしてもこれまた納得。
さらに天室光育の教育で深い道徳と文化を最優先に教育されていて、逆に戦国大名が身につけるべき政治や謀略の類に疎かったので一般の戦国大名のイメージからズレたのも仕方ないんじゃないでしょうか。
景勝君に関しては子供のころから養子にほしいと狙っていて、早くから目をかけていたという説もあります。
スペインの宣教師の話に関しても矛盾が多く、そもそも佐渡を平定したのは景勝・兼続コンビの時代になってからで謙信の功績ではありません。
さらにスペイン語で叔母(tio)と叔父(tia)なので文字のにじみなどでoとaが判別できなくなっただけという話も。。。
ということでイカピー的にもさすがにリアリティは薄いかなぁという気はしますが、世の中の上杉謙信信望者の方々はどうお考えでしょうか?
以前の記事「越後はミステリー」で書きましたが、これほど有名な人物にこれだけの謎がつくのも新潟のおもしろいところじゃないでしょうか。
支持まではしませんが、この説が好きなイカピーでございました。
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