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よもぎひらの日々の出来事 和泉屋のブログ

今日のイカペディア|2012年01月04日(水)

上杉謙信は女性だった? ①

おはようございます。
お正月に餅つきをがんばった筋肉痛が3日越しで襲ってきました、イカピーでございます。これが三十路街道というものか・・・・orz

久方ぶりにコメントを頂戴しました。
「和泉屋大好き❤」さん、ありがとうございます。
私が餅つきを頑張ってた「太ったお兄さん」でございます。
(おじさんて言われなくてよかった♪)

イカピーは大のつく上杉謙信の信望者でございます。
上杉謙信のことを順を追って紹介していったらホームページ一個つくれるくらいなのですが、今回はそのなかでちょっと面白そうな説を紹介します。
「上杉謙信は女性だった説」についてです。

そんなバカな・・・で笑い飛ばしたくなる話なのですが、根拠を上げていくと「お?」と思うことが結構あるんですよね。
それぞれ紹介していきます。

①生涯女性と交わらなかった。
性欲、煩悩を断ち切ることで毘沙門天という神に近づくという建前ですが、本人が女性なら納得?

②女性用のファッションを好んだ?
現在、上杉謙信像などでも見られ我々のイメージにも強い、白い頭巾に身を包んだ姿。あれは当時の女性用の防寒&ファッションだったんです。
さらに山県の上杉神社には赤をベースにパッチワークを使った女性的な衣装が上杉謙信のものとして残っているとのこと。

③民が唄った物に「寅年寅月寅日生まれの政虎様は男もかなわぬ大力無双」とある
国主上杉謙信を称えた唄の一節。
謙信は寅年の寅月寅日生まれで上杉政虎と名乗っていた時期があります
男もかなわぬということは・・・?

④毎月10日ころから4,5日は、護摩堂に籠って祈りを捧げていた。ここに近づく人は家臣でも厳しく叱られた。
これも①と同じく毘沙門天に近づくための儀式です。
さらに長期の出陣中であってもこの10日ころにはよくよく腹痛を訴え、戦を控えたそうです。これって女性の生理痛・・・?

⑤京都のお茶会、和歌の会などで優雅な仕草を称えられた
足利将軍を助けに京都に行ったとき、将軍の招待で貴族達とお茶会や歌会をする機会が何度かありました。
貴族達にしてみれば「野蛮な武将とお茶会とか面倒だけど、将軍の頼みだしつきあってやるか」という感じだったのですが、
いざ会をしてみると、お茶席での優雅さや、女性の気持ちを詠んだ歌の繊細さに貴族たちは驚かされたといいます。
文字の筆体や文章も女性的で柔らかいものでした。

明日は続きとその反論をご紹介します。

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