おはようございます。
先輩の優しさでクリスマスイヴにお休みをいただいたものの何の予定もない男、五十嵐です。一人きりのクリスマスイヴ~~♪ (;ω;`)
では本日の話題。
戦国時代、この越後・新潟を治めていたのは上杉謙信です。
ではその上杉謙信の下で、この長岡の領主だった人はだれでしょう?
その人を紹介する前に、当時の越後の経済や地形事情を説明します。
まず上杉謙信が居住する越後の中心になるのが上越の「春日山」
春日山から近い、上杉家随一の豪傑・柿崎景家が治める「柿崎」
関東圏への玄関口で、治めるのは謙信の義兄にして後の上杉景勝の実父でもある長尾政景。魚沼「坂戸」
海を使った貿易経済の要所で上杉の軍師・宇佐美定満が治める「柏崎」
上杉家の政治のリーダー直江景綱が治め、後に直江兼続が引き継ぐ「与板」
上杉謙信が10代の青年期を過ごし、戦国デビューを飾った本拠地「栃尾」
・・・などが重要な地域でした。
現在は新潟県第2の都市として上記の与板や栃尾も吸収した長岡市は、戦国時代には小さな田舎町でした。
しかし、その長岡城(当時の名前は乙吉城)の城主がなかなかに面白い人物で、五十嵐の好きな戦国武将なのです。
その人の名前は「小島貞興(こじまさだおき)」
若いころは「弥太郎」と名乗っていました。
上杉謙信は女性嫌いでたくましい若武者を好んでそばに置いていて、彼は特に気に入られた青年でした。
弥太郎君は、その武勇から「鬼小島」と呼ばれていました。
この時代の鬼というのは悪い物の象徴ではなく、むしろ悪魔を払ってくれる守り神のようなニュアンスがありました。
武田家の「鬼美濃」 九州の「鬼島津」 織田家の「鬼柴田、鬼武蔵」などそれぞれの大名の下に鬼のニックネームの武将がいました。
弥太郎君自身もそのニックネームがお気に入りで「鬼小島弥太郎」と名乗っていました。
次回はその「鬼」の武勇伝を紹介します。