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今日のイカペディア|2011年12月28日(水)

越後はミステリー?

おはようございます。
小学生のころに三国志に魅せられて20年、日本の戦国にハマって10年ちょっと、最近は東西冷戦や核抑止論に興味がでてきております、イカピーでございます。

歴史を紐解くには当時の人の残した資料が必要になります。
三国志なんかは、歴史書として列伝形式、箇条書きになっている史実に後世の人がイメージを膨らませ脚色し、物語になったもの、「三国志演義」というものが一般的な三国志として扱われています。

では日本の戦国は?
1800年も昔の中国の歴史である三国志に比べれば、およそ400~500年前の自国の出来事なわけですから、当然、資料も多く正確な歴史が残っている・・・・・ハズなんですが(・ω・;)

なかなか総合的、客観的に歴史を残すって難しいんですよねぇ。
どうしても書いた人の立場や感情が入り混じっちゃうわけです。
近年まで歴史上の出来事や人物評はほぼ徳川幕府が編纂したものがそのまま信じられてきました。
徳川家は初代家康さんを筆頭に巧妙かつしたたかで、自分の敵方も上手に褒めることから公平な資料だと思われてきました。
ところがよくよく検証してみると、やっぱり自分の家に都合の悪い事を隠したりねつ造したりってのが分ってきました。

最近は歴史研究科の人たちによって、徳川の手の入っていない歴史資料の研究が行われています。

織田家を中心とした資料で代表的な物に太田牛一の「信長公記(しんちょうこうき)」、ルイス・フロイスの「フロイス日本史」があります。
信長公記を記した太田牛一という人はもともと記録係など文化面を担当する人ではなく、弓の腕を誇る武闘派でした。
ところが趣味の日記のように主君信長の歴史を記しているうちにそっちが本職になり、豊臣時代までいろいろな歴史資料を書き残しています。
代表作である信長公記は正確な一級資料として現代でも最高級の評価を得ています。
ルイス・フロイスというのはキリスト教の布教に来たポルトガル人で、織田信長の保護の下で布教活動を行っていました。
その中で自国ポルトガルへの報告のため、日本でおきた出来事を歴史にまとめていました。
外国人視点のため、歴史的な出来事を客観的に記録している素晴らしい資料なのですが、
キリスト教に理解のある武将を高評価にし、キリスト教否定派を低評価にしている点にはちょっと注意が要ります。

武田家の代表資料として駒井高白斉の「高白斉記」、高坂昌信の「甲陽軍艦」が挙がります。
駒井高白斉という人は武田家の内政・外交など政治面で活躍した人でこの高白斉記も武田の歴史資料として重宝されています。
イカピーイチオシ武将でもある高坂昌信。軍事・政治もできるイケメンというパーフェクト武将が記した「甲陽軍艦」
これは歴史書というより、武田家における戦術の基本や儀式の流れ、家中の法律など当時の文化内容を知るうえで重要な資料として知られています。
常勝を誇る武田軍団と伝説の軍師山本勘助の活躍も記されています。

ほかにも、各大名の家ごとにいろんな資料があるんですが、
そのなかでどうにも寂しいのが我らが越後。
信長、信玄と並んで戦国時代の主役と言える上杉謙信やその軍団に関する資料は数が少なく信憑性の薄い物ばかりなんです。
しかしイカピーはポジティブに考えます。これは好きなように妄想してもいいんだぞ!とw

ということで今後も偏見と妄想のたぶんに混じった越後上杉の歴史をご紹介していくかと思いますが、
どうぞ、お付き合いください。
上杉家以外にもリクエストを頂けましたら、イカピーなりな解釈で紹介をさせていただきます!

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